親の仕事は、見守ること。それは修行に近いよね。
子育ては、ガーデニングに似ている。
と言ったのは、パトリス・ジュリアン氏でした。正確にいうと、私と彼のコラボで書いていた【PJカフェ】というブログの中の、PJというArt of Lifeのマスター。
その当時、私は、まだ小学生だった3人の子供たちに振り回され、完璧に自分を見失っていました。常に子供たち優先で、自分のことはそっちのけ。。。お母さんの経験がある人だったら、その感覚わかるんじゃないかな。
アメリカに来てすぐの頃は、子どもたちが新しい環境に慣れるようにとそれはもう一生懸命でした。
パブリックライブラリーで本の読み聞かせがあればライブラリーに連れていき、早く友達ができるようにと、息子たちはサッカーやバスケ、水泳、娘はバレエへ連れて行き。英語もまだおぼつかないのに、日本語を忘れちゃいけないと、日本語学校にも通わせ、英語の家庭教師もつけていました。
毎日3人分のスケジュールがぎっしりで、朝起きた瞬間から”早く早く!”と思っていたし、自分がどっちに向かって運転をしているのかわからなくなるほどでした。
はあ〜〜〜、これ、書いていながら、もう息が苦しいわ。
ちょっと自分を整わせますね。ふ〜〜〜〜は〜〜〜〜(呼吸です 笑)
でも、当時は「子どもたちのためだから」仕方がないと思っていたんですよねえ。
いい成績をとって、いい学校へ行って、いいところに就職する。
”そんなレールに敷かれた人生なんて嫌だ”と思っていたはずなのに、
実際にはそうするべきだと思っていました。
変な表現でしょう?
「思っていたはず」の部分は理想で、
「思っていました」の部分は現実、と思っていたんです。
そう、理想と現実は違うよって。
子どもはノビノビ育てるべきだ、ということも思っていました。
が、現実にノビノビ育てていたら、落ちこぼれちゃうよって。
自分自身がそういう育てられ方をしてきたからなんでしょうね。
それが現実だと信じていました。
歴史は、自分がきちんとNOをつきつけない限り
自然と繰り返される仕組みになっているものなんです。
自分の中は矛盾だらけでも。
PJは、私が子どもたちを「サラリーマンに作りあげようとしている」と言いました。
子どもたちは、それぞれの花を咲かせる種を持って生まれてきて、
その花の咲かせ方も自分たちで知っているのに、
私は自分が信じている世界を子どもたちに押し付けて、
その種をダメにしようとしている。
って!
が〜〜〜〜〜ん!
長くなりそうな気配なので、続きは明日。
今日も読んでくれてありがとう!